公益社団法人日本フェンシング協会 強化部アナリスト 一般社団法人日本スポーツアナリスト協会 理事 千葉洋平氏
データ分析で変わるスポーツ界 フェンシング日本代表を支えるアナリストの闘志
市場の常識を変えるような華々しいプロダクトやサービスが日々メディアに取り上げられる今日。その裏では無数の挑戦や試行錯誤があったはずです。「イノベーター列伝」では、既存市場の競争軸を変える挑戦、新しい習慣を根付かせるような試み、新たなカテゴリーの創出に取り組む「イノベーター」のストーリーに迫ります。今回話を伺ったのは、フェンシング日本代表チームのデータアナリスト、千葉洋平氏。東京五輪に向けてフェンシングの競技力向上をバックアップしている同氏に、今後のスポーツ界におけるデータ分析の進化について聞きました。
トレーナー志望からデータアナリストへの転身
もともとわたしはプロサッカー選手を目指していました。子どもの頃からゴールキーパーとしてサッカーに夢中になっていましたが、高校生になると、たびたび怪我に見舞われてしまいました。そのたびに自分でテーピングを巻いたり、リハビリを繰り返したりするうちに、アスレティックトレーナーの仕事に興味を持つようになりました。
進学した大学では、トレーナーの勉強をしながら、サッカー部に帯同してトレーナーの実務を行うようになりました。そのころには、選手をあきらめて、プロサッカークラブや日本代表のような競技性の高いところでアスレティックトレーナーとして活動していきたいと思っていました。
2008年には、文部科学省の委託事業である「マルチサポート事業」(現在はスポーツ庁の委託事業として「ハイパフォーマンス・サポート事業」に改名)という取り組みが始まりました。これは、オリンピック・パラリンピック競技大会においてわが国のトップアスリートが世界の強豪国に競り勝てるよう、メダル獲得が期待される競技をターゲットとして、アスリート支援や研究開発など多方面から専門的かつ高度なサポートを戦略的・包括的に行っていこうという取り組みです。
その事業スタッフの公募があったので応募したところ、科学スタッフとして採用されることになりました。このように、当初はアナリストという明確な職務ではありませんでした。また、最初にサポートしたのはフェンシングではなく、競泳でした。水中で映像を撮影し、簡単な動作分析をする程度で、いま考えればあまり高いレベルのサポートはできなかったと思います。
その数カ月後に、フェンシングにかかわるようになります。2009年のワールドカップ・ベネチアグランプリ大会に帯同させてもらったのが始まりでしたが、このときのフェンシング協会からのオーダーは、「とにかくたくさん映像を撮って、それをデータベース化し、選手やスタッフに見せたい」というシンプルなものでした。
しかし、現場からは、「あの選手のポイント獲得シーンだけが欲しい」「日本人選手の失点シーンだけが欲しい」といった要望をもらいました。もっとも、そういった映像だけでは、使用用途に汎用性がありません。苦労して映像を切り出して特定のシーンをまとめても、それを見て終わり。時間はかかるのに効果が小さいんです。そんなときに、「スポーツコード」という分析ソフトに出会いました。
データ分析の力でスポーツ界が変わる
スポーツコードは、シドニー五輪のときにオーストラリア国立スポーツ研究所(AIS)という組織が開発したもので、スポーツの戦略分野で世界的に使われているソフトウェアです。撮影した試合映像をデータベース化し、さまざまな分析を行うことが可能になります。切り出した映像にタグを付け、特定のシーンに対して付加したタグ情報を集計して数値化したり、編集した映像をまとめて見て分析したりできることに魅力を感じ、スポーツコードを導入することにしました。
当時は、ちょうど日本のスポーツ界がデータ分析の転換期に差し掛かっていたタイミングだったように思います。スポーツコードはすでにラグビー日本代表チームやバスケットボール、テニスなどで導入されていたので、わたしはそれらの競技のアナリストの方々から指導を受けました。中でも、日本スポーツアナリスト協会の代表理事を務めている渡辺啓太氏は、2008年の北京五輪以前からバレーボールの分析を行っており、大きな影響を受けました。その学びをもとに、フェンシングの競技特性に合わせて自分なりの分析の形を作っていきました。
その成果を感じることができたのは、2010年のアジア選手権です。当時、韓国にはとても強い選手がいました。日本選手が彼に勝つのは至難の技で、北京五輪で銀メダルを獲得した太田雄貴選手(現・フェンシング協会会長)ですら、過去の対戦で勝ったのは1度だけというほどの実力者でした。そこで、「日本人選手は、彼のどんな攻撃を受けてポイントを奪われているのか」「彼がどんな場面で失点しているのか」といった分析を行い、一つの有効な戦略を見つけることができました。その結果、その韓国選手との試合では、われわれの導き出した戦略が見事にはまり、得点を重ねることができました。分析作業によってあぶり出した相手の弱点をもとに立てた戦略により、われわれの弱みを強みに変えることができたのです。
世界で最もフェンシングに詳しい素人
データ分析というのは、地味な作業の積み重ねです。良い結果を生み出せるかどうかは、どのようなタグを作成するかが大きく影響します。フェンシングの場合、タグは大きく分けて5~6種類になります。端的に言うと、5W1Hで切り出したシーンにタグをつけるのです。もちろん、そこからさらに細分化していくのですが、わたしが工夫したのは、この一つ一つのタグにどんな意味があるのか、何を伝えるためにそのタグを作ったのかを明確にしたことです。それによって、選手やコーチに的確な説明ができるようになりました。
この作業にずっと向き合ってきたおかげで、競技の本質的な部分をどう証明しようかという意識につながりました。わたしは、おそらく「世界でいちばんフェンシングに詳しい素人」です。データからフェンシングを客観的に眺めてきたおかげで、そう言えるようになりました。
しかし、作ったタグ情報を映像に付加していくのは、気の遠くなる作業です。データ分析で何が大変なのかをよく聞かれるのですが、冗談交じりに、「睡眠時間が取れないこと」と答えています(笑)。試合前には相手選手の分析を行いますが、普段は日本代表選手たちを分析していることがほとんどです。選手たちが練習でみずからの目標を達成したのか、課題を解決したのかを分析するために、常にチームの一員として活動しています。
データ分析で答えを出さなければならないというプレッシャー
フェンシングは、アクション数が多い競技です。ボクシングや柔道のように一発で試合が終わってしまうことはなく、必ず15点まで、あるいは相手より1点でも多くポイントを取ったほうが勝つというスポーツです。また、データ化できるアクション数が多いため、パターンが生まれやすい競技でもあります。データを分析すれば、選手の特徴が見えてくるため、フェンシングはデータを活かしやすい競技と言えると思います。
しかし、わたしはフェンシングの経験者ではないので、当初は何が正解なのかがまったくわかりませんでした。「その数字が大きいのか小さいのか」「何の意味があるのか」「その分析結果をフィードバックすることが選手たちにとって大切なことなのか」という判断がつかなかったのです。しかし、自分で作った数字なので、大切にしたくなってしまうんですよね。言い換えると、その数字を意味があるものにしたくなってしまうのです。当時は、経験が浅かったこともあり、分析によって何らかの答えを導き出さなくてはならないと思い込んでいました。いまなら、「無理して答えを出す必要なんてないよ」って言えるんですけどね。
データ分析というのは、一つの観点であり、一つの道具にすぎません。したがって、「もしかしたら答えを導き出せるかもしれない」という程度に考えるようにしています。また一方では、選手やコーチが感覚的に捉えていることを数値化して、肯定したり否定したりできるという側面もあります。いまでは、選手やコーチたちもデータ分析の重要性を理解しており、分析結果を練習メニューに反映させ、試合の戦略決定に必要とされていることに、大きなやりがいを感じています。
繰り返しになりますが、データ分析は一つのツールでしかありません。データを作ること自体には意味がないんです。極端なことを言えば、データ化することは、そのスポーツを知らなくてもできます。ですが、分析して事象を細分化したりグルーピングしたりしながら、その濃淡を見つけて比較した結果は、選手やコーチにフィードバックしなければなりません。そこで重要になるのが、コミュニケーションです。選手やコーチたちと意思疎通ができて、初めて意味があるものになります。そのため、選手やコーチ側もデータの意味を理解し、統合する力が求められています。選手やコーチが自分なりに腑に落ちないと意味がないのです。
控えのゴールキーパーとして養われた思考が影響
わたしは、幼いころから体を動かすのが好きで、負けず嫌いでした。高校生のころは、埼玉県選抜でサッカー日本代表のゴールキーパー川島永嗣選手と同じポジションを競っていました。まったく歯が立たなかったんですけどね(笑)。でも、当時は自分を客観視できていなかったので、自分には実力があると思い込んでいました。
ゴールキーパーというのは、最も重要な責任を負うポジションですよね。ゴールを守るという役割が明確で、チームの中でも1人だけ立ち位置が異なります。練習メニューもほかのポジションの選手とはまったく違うし、自分で考えながら練習しなければならないことも多い。そして何より、補欠だった自分は、だれよりもベンチにいる時間が長いんです。試合に出られるのは1人だけなので、スターティングメンバーになれなければ、その試合に出場できるチャンスはほぼゼロです。
そのときの心境は、ほかのポジションの選手とは違うのではないかと思います。何を言いたいかというと、ゴールキーパーは、だれよりも早く“あきらめる”という決断をしなければならないポジションだということです。試合に出場できない立場になった時点で、チームの中で別の役割を見つけなければならないという意味では、実は控えのゴールキーパーという立場から学んだことは非常に大きかったのではないかと思っています。
実際、わたしは大学時代に選手をあきらめてトレーナーの道を選択しました。驚いたことに、周囲を見渡してみると、トレーナーや主務などのチームスタッフの8割はゴールキーパー出身者だったんです。ゴールキーパーをやってきたおかげで、自立しながらも、チームの一員として共生できる人間であろうとし続けてきたおかげで、アナリストになるときも、スッと入れたのかもしれません。
選手やコーチの自発的な成長を支え続ける
わたしは、これまで進むべき道を選択する重要な局面において、自分の判断で選択したことはほとんどありませんでした。フェンシングという道も自分で選んだわけではありませんし、アナリストの道も選んだわけでもありません。アスレティックトレーナーになることを決めたのを最後に、自分で選ぶことをしていないんです。
わたしが自分の力を発揮できるのは、現場に身を置きながら、選手やコーチたちの自発的な成長に対して貢献していくことなのかもしれません。それができれば、特に自分の役割や立場はこだわっていません。分析を一つの武器として、選手の競技力や人間力の幅を広げるための観点を提供していけるようにサポートしていきたいですね。その結果、スポーツの価値を高めていけたらいいなと思います。
現在の夢は、フェンシング日本代表チームの一員として、東京五輪の団体戦の金メダルを取ることです。そのためにも、まずはこれまでやってきたことを着実に行っていかなければなりません。金メダルを目標に掲げていますが、立ちふさがってくるのが韓国です。これからは、ライバル国の分析にもいままで以上に力を入れていくことになると思います。金メダルは非常に高い目標ですが、手が届かないわけではありません。最近はいい練習ができており、世界の頂点に近づいてることを実感しています。東京五輪までの残りの期間で一歩ずつレベルアップし、本番を迎えたいですね。
■プロフィール:千葉洋平(チバ・ヨウヘイ)
1982年生まれ。2009年より独立行政法人日本スポーツ振興センターにて、フェンシングを中心にスポーツアナリストとして活動。フェンシングにおけるゲーム分析手法を開発し、1年に500試合以上の分析を実施。さらに効率的な映像やデータのフィードバックを行うために、クラウドシステムやIT機器を導入して選手、コーチをサポート。ロンドン五輪では日本のメダル獲得に貢献、リオデジャネイロ五輪を経て、現在は東京五輪へ向けてフェンシング男子フルーレナショナルチームのアナリストとしてチームをサポートしている。一般社団法人日本スポーツアナリスト協会理事として、スポーツアナリストやスポーツアナリティクスの普及啓蒙活動にも携わっている。