ログリー 代表取締役 吉永浩和氏
「勇気ある決断」の積み重ねが会社を成長させる
市場の常識を変えるような華々しいプロダクトやサービスが日々メディアに取り上げられる今日。その裏では、無数の挑戦や試行錯誤があったはずです。「イノベーター列伝」では、既存市場の競争軸を変える挑戦、新しい習慣を根付かせるような試み、新たなカテゴリの創出に取り組む「イノベーター」のストーリーに迫ります。今回話を伺ったのは、ネイティブ広告プラットフォーム「LOGLY lift」を手がけるログリー代表の吉永浩和氏。ヒットプロダクトになかなか恵まれなかったという同社が、どうやってマザーズ上場を果たすまでに成長したのか。その経緯をひも解くと、起業家に必要な素質が浮かび上がってきました。
ゼロから何かを生み出すことが好きな性分
わたしは若い時からプログラミングが好きでした。ゲームをするよりも、それがどのような仕組みで動いているのかを調べて、自分で作ることに興味がありました。起業したのは、そんなわたしの「ゼロから何かを生み出したい」という性分が大きく影響していたのだと思います。経営者だった両親の背中を見て育ったのも大きいのでしょう。大学を卒業し、一度は会社員も経験しましたが、「自分には起業しかない」と思うようになりました。
とはいえ、起業したのは、大学院在学中の29歳のときだったので、珍しいタイプかもしれません。大学院では分散処理に関する研究をしていました。近い将来、「ログデータ」が大きな価値を持つ時代が来ると予想していたからです。そのため、ログデータを活用する会社を作りたくて、社名は「ログリー」と命名しました。
最初に開発したプロダクトは、2006年にリリースした「loglyカレンダー」というスケジュール管理サービスでした。カレンダーに記入されるデータを集めれば何かできるんじゃないかと考えていたからです。しかし、ほとんどの人はカレンダーに多くの情報を記入しませんでした。よく考えてみれば、朝何時に起きて朝食に何を食べるかをカレンダーに記入する人はいませんよね。カレンダーからログデータを取得することが困難だったので、当然うまくいきませんでした。
次に開発したのが、ニュースキュレーションサービスです。キュレーションサービスは今でこそ普及していますが、リリースした2008年当時はキュレーションという言葉がまだ浸透していない時代でした。プロダクトとしては価値があったはずですが、時代にマッチせず、結局、この事業もうまくいきませんでした。
経営を続ける原動力は「諦めない気持ち」
なかなかヒットするプロダクトを生み出すことができませんでしたが、愚直に開発を続ける中で、「情報収集技術」や「レコメンド技術」などのノウハウが徐々に蓄積されました。そこで、それらの技術を活かして、Webメディア向けのレコメンドエンジン「newziaコネクト」を2009年に開発しました。メディアサイト内から関連記事を抽出するためのエンジンで、サイト内の回遊率を向上させるためのものです。その頃からWebメディア向けのBtoBサービスがログリーの主力事業になっていき、バナー広告配信サービスも開始しました。どちらも黒字ではあったのですが、爆発的な成長が見込めるほどではありませんでした。
それなら、いっそのことレコメンドエンジンと広告配信を合体させてみてはどうかという発想で生まれたのが、ネイティブ広告プラットフォーム「LOGLY lift」です。各メディアの体裁に溶け込み、かつユーザーの志向に合った「じゃまにならない広告」であるネイティブ広告配信で、ユーザーと広告の接点を増やすことが可能です。ユーザーにも広告主にもメディアにもメリットがあるこのプロダクトがヒットして、ようやく大きく飛躍することができました。
「LOGLY lift」は2012年にリリースしましたが、ちょうどその頃、米国でもネイティブ広告市場が急成長し始めていました。「米国で流行っているものはいずれ日本に来る」というのがこれまでのネット社会の通説だったので、まもなく大きな波に乗れるだろうと期待に胸がふくらみました。プロダクトと市場の成長タイミングが一致した瞬間だったと言えます。事実、日本で競合が誕生する前に、一気に市場を獲得することができました。もし「LOGLY lift」のリリースが1年でも遅れていたら、結果は違っていたかもしれません。この経験から、経営においていかに「タイミング」が重要かを思い知りました。
振り返ってみると、「苦労した時期が長かったなぁ」とつくづく思います。苦しいときでも会社を続けられたのは、何よりも「諦めない気持ち」があったからだと思います。会社がなくなったら社員が路頭に迷ってしまう。だから、何としてでもヒット商品を生み出さなければならないとずっと思っていました。途中で諦めるなんて発想は、まったくありませんでした。この諦めない気持ちが原動力となり、現在も会社経営を続けられているのだと思います。
元手がなくても広いオフィスへ。「勇気ある決断」が成長の種に
もう一つ、経営者にとって必要不可欠なのが「決断力」です。創業時は、社員はわたし1人で実家のガレージをオフィスにしていました。2年目に1人増えたため、2人で家賃5万円のワンルームアパートへ移転しました。当然、会社を成長させるためにはもっと人材を採用しなければならず、広いオフィスも必要になります。しかし、当時はその元手となる売り上げがありませんでした。
そんな状況ではありましたが、広いオフィスへの移転を決断し、新たにもう1人を採用しました。いま思うと、当時は大きな決断でした。なにしろ、家賃が一気に4倍になったのですから(笑)。しかし、あのままリスクを取らずに狭い部屋にいたら、「LOGLY lift」は生まれなかったでしょう。
このようなリスクを伴う判断は、会社経営においてはたびたび必要となります。そのひとつひとつに対して、決断をすることが重要だと思います。とはいえ、わたしはもともと優柔不断なタイプでした。しかし、つい先日、そんなわたしの一面をよく知る同僚から「お前、昔と変わって決断が早くなったな」と言われました。いまのわたしが形成されたのは何度も新しいプロダクト開発に挑戦したり、上場を経験したりして、知らずと決断力が磨かれていったのかもしれません。
上場を機に変わること変わらないこと
最初から完成された経営者というのは、そうそういないと思います。おそらく多くの経営者は、会社の成長とともに自分自身も成長してきたのではないでしょうか。
2018年6月にマザーズ上場を果たしましたが、これからもさらに成長していかなければならないと感じています。そのために、最近はたくさんの経営者と会い、何でも吸収していこうとしています。これまでは、それほど積極的に交流するタイプではありませんでしたが、いまは多くの人から学ぶことで経営の知見を深め、会社に還元していきたいと考えています。
また、上場したとはいえ安定を求めてはいけないとも強く感じています。これまでずっと繰り返してきた挑戦を、ここでやめてしまってはいけない。だから、自分が主体となって新しいことに挑戦していこうとしています。最近は社員に任せる機会が多くなり、わたし自身は新規事業に取り組み、スピード感をもってどん欲にチャレンジしていかなければならないと考えています。
その一方で、やはり「諦めない気持ち」と「決断力」というのは、変わらず大切にし続けていきます。実は、この2つは相反するときもあります。経営においては、うまくいってない事業を「諦める決断」も必要になるからです。これまでの経験を活かして、それらのバランスを取りながら、会社も自分自身もさらなる飛躍を遂げていきたいですね。
■会社概要:ログリー
独自の「文脈を理解する技術」を武器にサービスを開発。「LOGLY lift」は日本で最初のネイティブ広告プラットフォームであり、一般的なWebサービス開発にとどまらず、自然言語処理、機械学習、各種アルゴリズム、データ解析、最適化技術など先進的な技術に貪欲に取り組んでいるテクノロジー会社。
■プロフィール:吉永浩和
博士(工学)。早稲田大学大学院情報生産システム研究科修了。2000年ソフトウエアマネジメント(現・カイカ)入社。2006年5月ログリーを設立し、現職。