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宝生流 能楽師 シテ方 佐野登氏
650年の歴史を持つ「能」を革新することが次世代への継承につながる

市場の常識を変えるような華々しいプロダクトやサービスが日々メディアに取り上げられる今日。その裏では、無数の挑戦や試行錯誤があったはずです。「イノベーター列伝」では、既存の市場を一変させる挑戦や、新しい習慣を根付かせるような試み、新たなカテゴリの創出に取り組む「イノベーター」のストーリーに迫ります。今回話を伺ったのは、能楽師の佐野登氏。「650年以上も続く伝統芸能である能を次世代へ継承していくためには革新が必要」と語る同氏に、その理由を聞きました。

 

稽古に明け暮れた高校・大学時代

能の流派の1つである宝生流の家系に生まれた自分にとって、能は代々受け継がれていく“家業”でした。わたしの場合、中学校を卒業までに能の道に進むかどうかを決定しなければなりませんでした。要するに、将来何の職業に就くかという決断のタイムリミットが15歳だったんです。まだ自分に何ができるのかわからない年齢ではありましたが、それでも自分なりに考えて決意し、能の世界へ入りました。そして、家族と暮らしていた静岡県清水市を離れ、能の稽古のため東京の高校に進学しました。

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本来なら、師匠である伯父の家で生活するところですが、「いっしょに暮らすと、お互いの関係に甘えが生じてしまうから」という師匠の方針により、高校入学と同時にひとり暮らしを始めました。また、師匠からは「身内であるお前には、ほかの弟子よりも意識的に厳しく接するからな」とも言われ、その言葉どおり、稽古中はもちろん、日々の生活でもだれよりも厳しく指導されました。その指導は徹底しており、同僚たちが「だいじょうぶか?」と気をもむほどでした。

大学に入ると、家元のもとで住み込み修行が始まりました。内弟子というのは、稽古はもちろんのこと、掃除や買い物など家元の身の回りのお世話を何でもやらなければなりません。いつ師匠に呼び出されるかわからないので、友達と遊ぶこともままなりません。休日も年間10日しかなかったので気分転換もできず、精神的にきつい日々が続いていました。

住み込みを開始したばかりのころは、特に辛かったですね。先生が「おーい」と呼ぶと、いちばん下っ端であるわたしが真っ先に駆けつけるのですが、「お前じゃダメだ」と追い返されます。また、先輩に代わって車で先生のお迎えに行ったときも、いつもと違う道を通っただけで怒られたりもしました。しかし、いま振り返ると、先生のこの反応も当然です。なぜなら、新人のわたしには信頼がまったくなかったからです。

 

時間ピッタリにお迎えに行くことで得た信頼

「何とかして、先生の信頼を得たい」。そう考えたわたしは、まず、先生のお迎えの際は時間を厳守することにしました。例えば、会食に出ていた先生から、22時に店の前まで迎えに来るよう指示されたら、その数分前に車をつけておきます。そして、電話で時報を聞き、時間ピッタリに店に入るのです。それをずっと続けていました。

ところがある日、いつものように余裕を持って迎えに出発したのですが、道路工事による渋滞に巻き込まれてしまい、指定された時間に5分遅れてしまったことがありました。到着すると、なんと先生が店の前で待っていたんです。怒鳴られる覚悟をしたのですが、そのときに先生が発したのは意外な言葉でした。「お前はいつも時間ピッタリに迎えに来るから、何かあったのではないかと心配したよ」。うれしかったですね。「人に信頼されるというのは、こういうことなのか」と学びました。

何の実績もない者が「自分を信じてほしい」「自分に任せてほしい」と言うべきではありません。信頼を得るには、相応の時間がかかり、かつ継続的な努力が必要なのだということを教えられた気がしました。

 

革新なくしてはありえなかった伝統芸能の継承

室町時代に完成されたと言われる能が、650年もの間、絶えずに伝承されてきたのも、先人たちがたゆまぬ努力をしてくれたおかげです。能の歴史を長いトンネルにたとえるならば、今日に至るまでの距離を掘ってくれたのは、ほかでもない先人たちです。その意志を絶やさないためにも、わたしの使命はこの時代を生きる人たちに能を伝えていくことだと思っています。

伝統芸能である能は、時代とともに変化することがあってはならないと思われがちですが、それは誤解です。例えば、650年前の能を広めようと思っても、現代人には伝わらないでしょう。その時代ごとに伝え方は変えていかなければなりません。すなわち、革新なくして伝承はありえないのです。

今でこそそう考えていますが、長い修行の間には伝承することの意味に悩んだこともありました。伯父に「能の謡(うたい)は難しいので、鼻歌にできるくらい簡単にしたほうがよいのではないでしょうか」と提案したことがあります。しかし、伯父は無反応でした。そのときのわたしには、まだアイデアを実現するだけの力がないと見抜かれていたのでしょう。

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現在、わたしが挑戦していることの1つに「日本能楽謡隊協会」での活動があります。能には、先人たちのメッセージや生きるためのヒントが随所に織り込まれています。それらを守り、後世に伝えていくためには、能の本質を理解する必要があります。そこで、謡を体験するためのコミュニティを作り、能の楽しさや奥深さを一人でも多くの方に知ってもらうための中長期的なプログラムを推進しています。実際にうたってみることで、退屈だと思っていた能の中にストーリーをイメージできるようになり、人生の学びになるようなメッセージがたくさん込められていることに気づかされるはずです。

また、小中学生を対象に「生きる力」をテーマにした教育プログラムを展開しており、全国の小中学校で講演やワークショップを実施しています。そこでは「能とは何か」という話はほとんどしません。それよりも、自分が能から何を学び、今それが自分の人生にどのように活かされているかを中心に話しています。小学校時代の恩師の教えや、修行時代にこっそりバイクの免許を取得した話、大学時代にバンド活動をしていた話なんかもします。一見、何の関係もないように思えますが、すべて能の活動にかかわるエピソードにつながっています。

多くの方が、能に対して“近寄りにくいもの”という印象を持っていると思いますが、わたしはそこに風穴を開けたいと思っているんです。能に興味を持つきっかけを作るのもわたしの仕事です。

学校で講演すると、子供たちから「嫌なことがあったとき、どうすればいいんですか」と聞かれることがあります。わたしはいつも、その嫌な気持ちをノートに書いてみようとアドバイスしています。思う存分書いたらそれで終わりです。

わたし自身、小学生時代にしたためた日記は、今も大事に持っています。そこには当時の先生のコメントも記されており、読み返してみると、こんなことで悩んでいたのかと笑ってしまうものもあります。日記を書く習慣は修行時代も続けており、楽屋で起きた嫌なことや、言われて腹が立ったことなどがたくさん書かれています。いま抱えている悩みも、いつかきっと笑える日が来る。そんなふうに思っていれば、何が起きても動じることはなくなります。

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■プロフィール:佐野登(サノ・ノボル)
宝生流 能楽師 シテ方
東京藝術大学邦楽科卒業。宝生流18代宗家宝生英雄に師事。「翁」「石橋」「道成寺」「乱」「隅田川」「望月」等の大曲を披く。重要無形文化財総合指定(能楽)保持者。(社)日本能楽会および(社)能楽協会会員。全国各地での演能活動や謡曲・仕舞の指導を中心に、日本の伝統・文化理解教育の一環として「生きる力」をテーマとしたエデュケーション・プログラムを日本各地の教育現場で行っている。また、次世代育成、普及における伝統文化伝承のための多様な体験型プログラムを実施し、能楽ワークショップも開催している。海外公演にも多数参加し、他ジャンルのアーティストとの交流も活発に行う。作品の創作活動、舞台演出も手掛けながら独自の舞台活動を展開しつつ、現代に活きる能楽を目指し、積極的に活動をしている。

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